相模の屋根・丹沢山塊
丹沢山塊(5)東丹沢・宮が瀬

宮ヶ瀬ダム建設に伴って中津渓谷の終着である「落合地区」や
南部の「馬場地区」など、多くの人々が移転を余儀なくされた。 
水没地の面積は45平方キロメートル、
移転戸数は281戸に及び、新規造成団地「宮の里」に移住している。
これらの人々が、フト・・!我に返り、
かって住み慣れた桃源郷の「湖底の故郷」を思う起こす時、
どんな気持ちになるのだろう・・!?。 
きっと胸が締め付けられるような思いにかられるに違いない・・!。
 


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丹沢山塊(5) 「東丹沢」・宮が瀬





写真:石小屋地区に完成した「宮が瀬ダム」 



序ながらその辺の事情について記しておこう。 


昨今、この宮が瀬地区に大きなダムが完成した、「宮が瀬湖」(宮が瀬ダム)といい、2001年4月から本格運用が開始されている。

中津川の上流愛川地区に「宮が瀬湖」がある。


この湖の東端、宮ヶ瀬堰堤・ダムが位置するダムサイトエリア下流の石小屋ダム付近は、かつて名勝・「中津渓谷」があった地域である。

深い緑と鮮やかな紅葉でハイキングコースとして人気があり、小生なども何度も訪れた地で首都圏でも絶大な人気があった。
 

コースのスタート地点には、堅牢な石造りでメガネ状の名物・石小屋橋が在り、現在はその名残を残しつつも宮ヶ瀬ダム建設に伴って取り壊された。

かっては、この石小屋橋から先が中津渓谷の見所、核心部であった。 
日中でもあまり陽が指す事が無いほどV状に研ぎすまされ、深い峡谷の景観は我々を圧倒した。

ユックリ散策しながらも概ね1時間、薄暗い谷間を通り抜けるとそこには信じられないぐらいの明るい集落が広がっている、この地が宮が瀬で正に桃源郷の様相であった。




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宮ヶ瀬ダム建設に伴って中津渓谷の終着である「落合地区」や南部の「馬場地区」など、多くの人々が移転を余儀なくされた。 

水没地の面積は45平方キロメートル、移転戸数は281戸に及び、新規造成団地「宮の里」に移住している。

これらの人々が、フト・・!我に返り、かって住み慣れた桃源郷の「湖底の故郷」を思う起こす時、どんな気持ちになるのだろう。 

きっと胸が締め付けられるような思いにかられるに違いない・・!。 




写真:宮ヶ瀬ダム上流部、「水の郷大吊り橋」



宮ヶ瀬ダム湖周辺は、現在は一大観光地となっている。

広大なピクニック広場、水の郷大吊り橋、ビジターセンター、交流館、カヌー場などがあって賑やかなところである。 
又、宮ヶ瀬湖には例年のイベントがある、クリスマスの時期に美しく光輝くジャンボクリスマスツリーが名物となって、大人から子供までメルヘンの世界に招待してくれる。


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