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相模の屋根・丹沢山塊
丹沢山塊(9)・西丹沢の歴史

山北・中川温泉がある。
発祥は今から700年ほど前の南北朝時代といわれるが、
温泉地として人々に知られ出したのが戦国時代のことであった。
武田・北条軍との激突で
「武田軍の兵が中川温泉で傷を治した」、
「道志村から峠を越えて武田の兵が温泉に入りに来た」
という言い伝えがあり、
「信玄の隠し湯」の伝説が生まれたようである。


目次;index
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丹沢山塊(5)
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丹沢山塊(9) 「西丹沢の歴史秘話」





写真:西丹沢の犬越峠



桧洞丸と大室山の鞍部に「犬越路」というのがある・・、


両方いずれかの山を踏破するとき必ずといっていいほど、この峠路を越えなければならない。

1000mを越える大峠で武田信玄が犬を連れてこの峠を越えたことから犬越路という名称が付いたとも言われるが・・?、
果たして史実はどうであろうか・・?。


丹沢は1600m以下の比較的低山で、しかも八ヶ岳やアルプスのような峻険さは無い。
だが、山が幾重にも重なり、山塊の中央核心部や西丹では、関東には珍しくブナ林が密生していて水量は豊富で、そのため多くの深い渓谷を形作っている。 

西丹沢の中川川の一番奥まったところの沢筋が白石沢、用木沢(陽木沢)であり、この用木沢に沿って急峻な沢、山稜を登りつめた所、一方、北丹沢(道志)の津久井側(現、相模原市)月夜野地区の神ノ川の沢筋を詰め、大室山を右手に見ながら山稜を登りきった所が、標高1000mを越す「犬越峠」(犬越路)である。

かっては、両国を跨ぐのに、大曲遠路の悪路である犬越路林道が通じていたが、今は、峠直下に「犬越路トンネル」が完成している。
但し、東丹沢のヤビツ峠と違い、こちらは一般車両は通行禁止になっている。
犬越路を越えられるのはハイカーに限られている。 

マイカーの場合、現時点では全線の通行ができないため、西側の山中湖を迂回することになる。



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戦国期の西丹沢・・、

戦国期である16世紀の中頃は、この地は甲斐の武田、相模の北条、駿河の今川が合い争う三角帯の地域だった。 

武田と北条の「三増の合戦」(1569年)については前述したが、この合戦は日本の合戦史上有名であり、結果として両者引き分けで相変わらず対峙状態は続いていた。

その2年後、今度は武田と北条の合戦において武田軍は今川領でもあった北条支配の「深沢城」」(御殿場市深沢・東名足柄SAの近く)を陥し駿東を手に入れた。 
これによって武田は気兼ねなく西側からの北条と対することが出来る。

信玄は、小田原へ最短である大月、都留より道坂峠を越え、道志より更に西丹沢の西端である峠を越え、酒匂川より北条の小田原本城を覗ったとみえる。

武田信玄が北條攻めに使ったとされる道程は、道志村から三ヶ瀬川に沿って城ケ尾峠を越え、地蔵平に陣を張ったとされている。 
地蔵平は、二本杉峠と経て中川温泉に出る「さかせ古道」が通過していた。 
地蔵平の近くには地蔵堂、武田信玄が宿陣した信玄平や将兵が米をといだ水を流したという白水沢などの地名が残っている。



そして、相模の国の山北・中川温泉がある。

発祥は今から700年ほど前の南北朝時代といわれるが、温泉地として人々に知られ出したのが戦国時代のことで、武田・北条軍との激突で「武田軍の兵が中川温泉で傷を治した」、「道志村から峠を越えて武田の兵が温泉に入りに来た」という言い伝えがあり、「信玄の隠し湯」の伝説が生まれたようである。
今も戦国期より開湯したという「信玄館」もある。


当時、この辺りの地は中川城(山北)、河村城(山北)といった小田原城の支城があり、北条氏康の支配下にあった。 
ただ、信玄が中川城、河村城と交戦したという記録は定かでない様であり、両城は、後の秀吉との「小田原の陣」において落城するのである。


酒匂川上流界隈の地元民は、どうしたわけか地元の北条氏より武田(信玄)びいきであるという。 
このことを考察すれば、この地での武田、北条の諍いは多少あったものの、激しい戦闘、戦乱はなく、従って、信玄は地元民を害することなく、しかも、慈愛の念をもって接したと言われる。 

そして、ほぼ不戦の状態で甲斐へ戻ったとされる。 


何故なら、これには多少の訳があった。

この時期、西域では信長、家康が伸張してきた時期でもあり、お家をこれ以上永く留守をすることは適わなかったからである。 
撤退に及んで北の山、即ち箒沢部落から犬越路を越えれば最短で甲斐国(山梨県)へ達するのである。 
信玄は不明瞭な峠道を軍用犬を先導に「犬越路」を越えたのではないかと想定されるが・・?。


他方、信玄が小田原・北条を攻めるに当たり、犬越路を越えたという説もあるが・・?、

甲斐国中から小田原を攻めるに、犬の群を引き連れて月夜野(辺境とはいえ小田原領)まで下り、神ノ川を遡り、峠を越え、中川に至るとは甚だ不合理な経路であるとする。 まして、又、犬に先導させ、馬で越せるような峠ではなく、甲陽軍鑑にも逸話が無いとされる。


信玄は、翌年の元亀3年(1572年)12月、徳川家康との「三方ヶ原の戦い」で、これに勝利するが、直後の元亀4年4月陣中で卒中・病没している。  享年53歳。


次回は、「丹沢の主峰」     丹沢山塊(10)、丹沢の主峰へ



        
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